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教育への情熱(2)「努力」 |教育への情熱

「努力」

 

いまでも、同じ大阪市浪速区に社屋をかまえる(株)クボタとニッタ(株)

創業者の久保田権四郎と新田長次郎は、ふた回り近くの年齢差がありました。しかし、大阪へやって来た頃の鉄鋼業界と皮革業界は、ともに徒弟制度(※)が厳しく、年齢を問わず、まずは、見習いとして長い修行を積まなければいけない時代でした。
権四郎について、のちの伝記では非常に強い心の持ち主で、困難が大きくなればなるほど、困難に屈しない心も大きくなっていく人物だったと書かれています。また、災難で失ったものは人の3倍5倍働いて取り返せるんだという姿勢で仕事に臨んでいたといいます。

一方の長次郎は自身のことを「履歴書」に常に素朴に生きて、朝は従業員より早く出勤し、夜は従業員より遅くに帰るということを実践していたと書いています。また、従業員が病気になったときは、医療を受けさせたり、死亡するようなことがあれば、その家族を扶助したりと非常に手厚い待遇をとっていたということです。

このように努力を惜しまない姿勢を持った二人が、出会うことになります。
それが他ならぬ重要な共通点を生み出していきます。

※徒弟制度…商工業者になろうとする者が親方の家で住み込みの修業をし、一定期間後にはじめて一人前になる制度。

(2013/03/18)