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(3)─薬害エイズ裁判─ |薬害エイズとメモリアルキルト

1989年5月、愛媛県に住む赤瀬範保さんと関西在住の血友病患者が国と製薬会社を相手に訴訟を起こしました。
血友病患者にHIV感染が広まったのは、国や製薬会社が輸入非加熱血液製剤の危険性を
予見し得たにも関わらず、安全性を確認する義務を怠ったというものでした。

その後、大阪と東京でも被害者や家族が原告となり訴訟が始まりました。「薬害エイズ裁判」です。
集団訴訟となった「薬害エイズ裁判」では、赤瀬さんと大阪での原告団代表となった石田吉明さん以外の原告は匿名での闘いとなりました。

それは、ちょうどその頃の日本がHIV/AIDSに対する差別・偏見が強かった時期だったからです。
HIV/AIDSに関する正しい知識を伝えるよりも、感染者をさがすこと、薬害によるHIV感染を伝えるよりも、不安や恐怖をあおる報道。
「エイズ=死」という考え方、感染に関する間違った情報がHIV/AIDSに対する差別・偏見を助長させていきました。

1996年3月29日、「薬害エイズ裁判」の和解が成立しました。1989年5月の提訴から6年と10ヵ月が経っていました。
原告団代表として名前を公表した赤瀬範保さん、石田吉明さんをはじめ和解を知ることなく亡くなった被害者もたくさんいます。

(2015/03/02)