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在日コリアンのまち(3)「猪飼野」 |在日コリアンのまち

現在、大阪市生野区にあるコリアタウン。ここは江戸時代には猪飼野村と呼ばれていました。明治の時代、1890年に町村制が施行され、猪飼野村と他の五ヵ村が合併して「鶴橋村」がつくられました。

1925年、大阪市の第2次市域拡張によって、鶴橋村を含む11町村が大阪市に編入され、コリアタウン界隈は大阪市東成区猪飼野町と呼ばれるようになりました。1943年には大阪市が全面的に行政区画を変更し、現在の近鉄大阪線より南の地域が生野区となったのです。

そして戦後の1973年、大阪市の町名変更により「猪飼野」という街区名が消え、桃谷、中川などの街区名となりました。現在の地図上で「猪飼野」の文字が残っているのは平野川にかかる「猪飼野新橋」と、今里筋と近鉄大阪線が交差するあたりにある「猪飼野橋交差点」ぐらいになっています。

その「猪飼野新橋」がある平野川はかつての猪飼野、現在の大阪市生野区を南北一直線に流れています。かつて百済川と呼ばれていたこの川は、元はぐねぐねと曲がりくねった川筋をしていました。そのことで、たびたび川から水があふれ、近隣に水害をもたらしていました。

今のようにまっすぐに付け替える工事が始まったのは1919年。この新しい河川の掘削、旧河川の埋め立て、水害防止事業がすべて完了したのは19年後の1939年のことでした。この工事には多数の朝鮮人労働者が従事していました。

このように、名前や川の形状も変わってきた猪飼野は戦前に、ほぼ現在のような町の姿ができてきます。

 

(2013/06/03)