シリーズ

在日コリアンのまち(4)「コリアンタウンの誕生」 |在日コリアンのまち

多くの在日朝鮮人が暮らすようになった猪飼野に、朝鮮の食品、衣類、日用雑貨品を売り買いする市場ができたのは1930年代初めのことでした。

当時、そこは「猪飼野朝鮮市場」と呼ばれていました。場所は、現在の「生野コリアタウン」から南にのびる細い路地でした。左右に40~50軒の露店が営業を始めました。1926年には、近くに大阪市営鶴橋公設市場が開設されたことから(現在は温水プールが建っています)民間の御幸通商店街ができていました。

戦争中、御幸通商店街に店を借りて営業していた日本人が疎開していなくなったため、戦後、そこに朝鮮市場の商店主たちが店を構えるようになったのです。

西日本唯一といってよい品揃えを誇り、日に1万人、2万人の買い物客でにぎわっていた御幸通商店街でしたが、地方都市にも韓国・朝鮮の品々が行き届き始めた高度成長期になると逆に地方客の足が途切れ、商店街が衰退していきます。

危機感をもった商店主の中には、国鉄(現JR)、近鉄、地下鉄の鶴橋駅周辺に店を移す人が出てきます。現在、鶴橋駅高架下の「高麗市場」はこうしてできていったのです。

さて一方で、御幸通商店街も振興策をはかります。さまざまな意見をとりまとめ、1993年、「コリアタウン」として商店街を再生することとしたのです。

この振興策を先頭に立って進めてこられた方は洪呂杓(ホン・ヨピョ、徳山物産会長)さんです。洪さんは、コリアタウンを訪れる人たちの交流の拠点にしたいとの思いでつくられたのが「洪家食工房」で、無料の休憩スペースとしても開放されています。

 

(2013/06/03)