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(2)「法令のなかの『等』」 |「解放令」から140年

明治4年8月28日(1871年10月12日)の「賤民」制廃止にかかわる法令は、都市や農村に住みつつ農業や皮革業などに従事していた「穢多」(かわた)、大阪や堺といった大都市や村々の治安を維持する役目などを担っていた「非人」(長吏)を対象としていました。

しかし、よくみると条文のなかに、「等」という文言が入っています。つまり、「穢多」「非人」のほかにも多くの「賤民」が廃止の対象となったわけです。

ここで、太政官の布告をうけて京都府から出された布告をみてみると、「夙(しゅく)」「烟亡(おんぼう)」「歴代(れきだい)」「掌墓(しょうぼ)」「産所(さんじょ)」「巫(みこ)」といった身分名が記されています。「夙」(宿)は、中世に寺社や交通の要衝地に住んでいた被差別民の系譜を引く集団であり、「烟亡」(隠坊)は、葬送や墓所の管理に携わる身分で「掌墓」もこれに近い集団とみられます。「歴代」は吉凶を占う陰陽師であった人びとのことで、「産所」(散所)は中世からの系譜を引く被差別民をさします。「巫」(巫女)は、神社に仕えて神楽などを奉納する呪術的な存在でした。
まさに多種多様な被差別集団(被差別民)が含まれているわけで、「賤民」制の廃止といわれるゆえんです。

もとより、「賤民」身分が担っていた職業のほとんどは、武士や平民(町人・農民など)の日常生活にも深く関わる役目でしたから、こうした「賤民」の廃止は、江戸時代の身分制度そのものが廃止されたことを意味していました。

(2012/11/28)