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(4)「法令の名称」 |「解放令」から140年

江戸時代の「賤民」制を廃止することを明記にした140年前の太政官布告は、なぜ出されたのでしょうか。
これについては、研究者の間で諸説ありますが、近年の詳しい研究によって、翌年にひかえた地租改正を実施するために必要であった身分制度の矛盾を廃止する必要があったこと、さらに、そうした明治政府による一連の政治的な政策を円滑に進めるためであったことが明らかにされています。

もちろん、関東の弾左衛門支配(浅草)との関係や、各府県ごとに出された布告の内容にはかなりの異同があるので、その内容をさらに検討する必要はあるでしょうが、近く改訂される教科書にも最新の研究成果が載ることになっています。

最後に、「穢多・非人等の称、廃せられ候条、自今、身分・職業とも平民同様たるべきこと」
(原文は漢文、ひらがなを使って読み下した)ではじまる、太政官布告の名称について簡単にみておきましょう。

そもそもこの法令には名称が付されていなかったために、時代状況と立場の違いによって名称は一定しませんでした。
例えば戦前の研究者は、身分制社会のもとでの「賤民」支配を崩した画期的な法令という意味から、「解放令」と名付けました。

一方、現実に日常的な差別はなくなるどころか、厳しくなっていたため、部落解放を願う多くの人びとにとって、それは「一片の空文」と表現されました。これまでのところ教科書をはじめ部落問題のテキストでは一般的に「解放令」となっています。

「解放」か「空文」か。これは大きな問題です。 法令が出されて約140年が経過して、いま一度、法令の内容とその歴史的意義を問い直す時期にきているのではないでしょうか。

(2012/11/30)