シリーズ

(1)「地名」 |太鼓で栄えた芦原橋

 リバティおおさかへ行く駅名の芦原橋ですが、芦原「橋」といっても今は橋も川もありません。

 でも、江戸時代の古い地図を見ると芦原橋のあたりには確かに鼬川(いたちがわ)という川が流れていたことがわかります。戦前の地図にも川は描かれていて、この川に架けられていた橋が、芦原橋です。川は残念ながら、1950年代に埋め立てられたので、いまは見ることができません。

 ところで、芦原の芦(あし)とはイネ科植物のことで、その言葉の響きが「悪し」を連想するので、「よし」とも言います。芦は、たいてい湿地帯に生えるものです。芦原橋という名前からも、そのあたりが低湿地だったことがわかります。

 それにリバティおおさかの西を走る阪神高速堺線のあたりにも、もとは十三間堀川(じゅうさんげんぼりがわ)という川がありました。今から約300年前、現在の場所(芦原橋)に移転した渡辺村周辺も、川に近い湿地帯で本来なら居住に適さないような場所だったといいます。いまでは想像できませんが、地名がそんな歴史を伝えています。

 芦原「橋」にも実際に使われ、その名を刻んだ石が、リバティおおさかにほど近い浪速神社の境内に今も残されています。

 そんな由来のある『芦原橋』駅を降りると太鼓屋さんがあります。地域内にある太鼓屋さんは全部で4軒。芦原橋を代表する産業の一つです。

(2012/11/28)