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移住労働を世界と日本の関わりから考える |人権情報

ヨーロッパでは「難民危機(refugee crisis)」と呼ばれる状況が続いています。国際移住機関(IOM)の報告書(注1)によれば、アラブ、東南アジア、アフリカからヨーロッパへの人口移動は2011年以降徐々に増加してきましたが、2015年に激増して100万人を超え、2016年は3月9日までに約15万人に上っています。EUはこの危機に対応するため、3月18日にトルコとの間で、非正規にEUに入域し難民申請手続をしない者をすべてトルコに送還する一方、トルコに留まるシリア難民のうち7万2,000人をEU各国で受け入れることで合意しました。

このような危機への対策の議論に経済的側面からの理解が助けになるとして、国際通貨基金(IMF)が今年1月20日に報告書『欧州における難民の急増:経済的課題』(注2)を発表しました。報告書によれば、危機を中長期的な成長へと転換する鍵は、難民の労働市場への早期の組み入れです。難民の受け入れに積極的なオーストリア、スウェーデン、ドイツでは、2017年までにGDPがそれぞれ0.5%、0.4%、0.3%伸び、さらに組み入れが早期に上手くいけば、2020年までにEU全体として0.25%、先の3カ国に関しては0.5%から1.1%伸びる可能性もあるとしています。EU各国は現在、難民への住宅建設や生活支援などとして多大な財政支出を負担していますが、これら難民が早期に仕事に就き、税金や公的保険料を支払えばその負担は減り、さらに国内の経済活動が活発になります。

IMF報告書では、難民の労働市場への組み入れによる、自国人労働者の賃金低下や失業に対する懸念にも触れています。これまでの研究から難民と自国人労働者の代替可能性は低いことが分かっており、ゆえに自国人労働者への影響は少なく、あっても一時的・短期的なものとしています。難民に対する財政負担の増加を考えると、難民をなるべく早期に労働市場に組み入れることは「待ったなし」なのでしょう。ヨーロッパ企業も難民の雇用に取り組み始めており、ヨーロッパに進出する日本企業にも喫緊の課題として着手することが求められます。

今回取り上げる「移住労働」は、ヨーロッパをはじめ、世界が直面している問題です。ILOの2015年報告書(注3)(報告書内のデータは2013年時点)によれば、移住労働者は全世界におよそ1億5,000万人おり、北米や北・南・西ヨーロッパなど高所得国に集中してはいますが、世界各地に存在しています。

国際的な人権基準を定めた国際条約のなかに、「すべての移住労働者とその家族の権利の保護に関する国際条約」があります。条約によれば、移住労働者とは「国籍を有しない国で、有給の活動に従事する予定であるか、またはこれに従事している者」を指します。つまり、比較的長期で住居を移すことを前提とする「移民・移住」とは異なり、「移住労働」には農作物の収穫や建設工事といった短期・不定期の出稼ぎも含まれます。そのため、「外国人労働者」といった方がよりイメージしやすいかもしれません。

移住労働者は、言葉の問題や、それに伴う情報の欠如、新たな地域社会とのつながりの弱さ、さらに苦情・救済手続へのアクセスの躊躇などから、脆弱な状態に置かれやすくなります。経済的な必要性から、どうしても劣悪な、さらには違法な条件のもとでの雇用につながりやすくなってしまいます。日本でも、単純技能(非熟練)労働や派遣・請負労働などに従事している在日外国人労働者一般が抱える労働・雇用問題、そのなかでも女性が占める性産業や家事介護労働に関する問題、技能実習生に対する労働法違反など外国人技能実習制度の不適正な実施の問題、非正規滞在者の問題、中間搾取(いわゆる給料のピンハネなど)や高額な斡旋料など悪質な斡旋業者の問題、さらに国際結婚や子どもの教育など移住労働者の家族を巡る問題などが、移住労働者の課題として指摘されてきました。加えて、日本企業が海外へ進出するに伴い、自社の進出先で、さらにはその取引先で、移住労働者が直面する労働・雇用問題なども加わります。海外駐在員の社宅では住み込みで働く外国人家事労働者がいたり、自社工場またはサプライヤーの工場において複数国出身の移住労働者が働いていたりすることは珍しくありません。移住労働者は、前述の脆弱性のために、劣悪な労働条件・環境、児童労働、さらには人身売買や奴隷労働などの人権侵害を受けやすくなってしまいます。

移住労働者の権利を尊重するためには、送出国・受入国双方による保護を強化することが第一ですが、雇用を通じて移住労働者と直接接するのは企業であることから、企業に移住労働者の保護を直接働きかける動きが出てきました。ここでも注目されているのは人権デューディリジェンスです。

例えば、英国では2015年3月に現代奴隷法(the Modern Slavery Act)が制定されました。全世界での売上高が3,600万ポンド(注4)を超える企業で、かつ英国内でなんらかの事業を行っている企業に対し、2016年3月末日以降、会計年度毎に、「奴隷および人身売買ステイトメント」を公表することが義務化されました。企業は、奴隷および人身売買が自社のビジネスにおいて、さらに自社のサプライチェーンにおいて行われないようにする取り組みの情報を開示するか、または行ってない場合にはその旨を開示しなければなりません。まさに、移住労働に関する人権デューディリジェンスを求める内容です。取り組みを行っていないからといって法的な制裁を受けるわけではありません。しかし、CSRに対する市場の評価のウェイトが高まる現在、企業ブランドや評判が下がる結果になるかもしれません。

では、実際に移住労働者の人権が尊重されるためには、自社またはサプライヤーのどのような項目に注意すればいいのでしょうか。このヒントになるのが「尊厳ある移民のためのダッカ原則」(注5)です。「人権とビジネスに関する研究所(IHRB)」という研究機関が企業、NGO、労働組合、政府との協議を重ね、2012年12月に発表しました。「すべての労働者は平等に、差別なく、処遇され」、「すべての労働者は労働法による保護を享受する」という2つの中核原則のもと、10の原則が定められています。

原則1  移住労働者には、いかなる手数料も課されない。
原則2  すべての移住労働契約は明確で、透明性が確保されている。
原則3  方針や手続がインクルーシブ(移住労働者に対する配慮が明示されたもの)である。
原則4  移住労働者のパスポートまたは身分証明書を事業主が保管することはしない。
原則5  賃金は定期的に、直接的に、滞りなく支払われる。
原則6  労働組合への権利を尊重する。
原則7  労働条件は安全で、ディーセント(働きがいのある人間らしいもの)である。
原則8  生活水準は安全で、ディーセント(働きがいのある人間らしいもの)である。
原則9  救済(法的手続や社内相談窓口など)へのアクセスが提供されている。
原則10 転職の自由が尊重され、安全で時宜を得た帰国が保障されている。

移住労働者を2016年の最も注目すべき人権課題に据える報告書(注6)も出てきました。移住労働者に対する人権デューディリジェンスを果たしているのかが国内外で問われる今、自社の取り組みを確認してみるのはいかがでしょうか。

菅原絵美(大阪経済法科大学国際学部准教授)


(注1) IOM, “Situation Report: Europe/Mediterranean Migration Response (10 March 2015)”
     IOM “Compilation of Available Data and Information: Reporting Period 2015”

(注2) IMF, “IMF Staff Discussion Note The Refugee Surge in Europe: Economic Challenges” (2016).

(注3) ILO, “ILO Global Estimates on Migrant Workers: Results and Methodology: Special Focus on Migrant Domestic Workers” (2015).

(注4) 約58億円(2016年4月現在)

(注5) “Dhaka Principles for migration with dignity”.

(注6)  “Verisk Maplecroft, “Human Rights Outlook 2016”,
      “Abuse of migrant workers is now a top risk for business” (16 Feb 2016)



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